リアルタイムドキュメンタリー

成人式の記憶、水牛の角のような竹棒を振りかざす先生の話

成人式の記憶

新成人のみなさま、おめでとうございます。

14年も経ってしまうと、式のプログラムや、ご挨拶でいただいた言葉、友達と何で盛り上がったか。もうほとんど思い出すことはできません。

そんな僕でも唯一記憶に残っていることがあります。成人式の日に受け取った、12歳の自分がハタチの自分に向けて書いた手紙に対する思い出です。


小学校時代の担任に一人強烈な個性を放つ先生がいました。昭和のサラリーマンスタイルの七三分けをそのまま長髪にしたような独特の髪型で、とにかく自分がやりたいようにやらないと気が済まない先生です。

どこで調達してきたかわからない、水牛の角のような怪しい竹の棒を振りかざし、機嫌が悪くなってくると、その棒でバンッバンッバンッと力の限り教卓や黒板を叩いて子供たちを黙らせます。そして、お決まりの一言をはなちます。

『あぁむしゃくしゃする。今日はサッカーやろう。』

とにかくサッカーが好き過ぎるせいで授業のカリキュラムを一切無視し、その日の気分次第で一限目から三限目まで勝手に授業内容を変更して体育(しかもサッカーだけ!)をやっちゃうような先生です。

僕もサッカーが大好きだったので、変更になるたびにやった!ラッキー!と喜んでグラウンドに出ていった良い思い出としての記憶がありますが、体育の嫌いな子には地獄のような日々だったに違いありません。

体育をやり過ぎた結果、国語や算数のテストが消化しきれず、期末の最後に「あとは自分でやっとけよ」とまとめて大量のプリント用紙が配られることが何度かありました。

当時から少し問題視されていたようですが、小学生だった僕たちはそんな事は知りませんでした。今なら完全なるアウトです。

そんなアウトな先生が小学校の卒業間近に思いついたのが、ハタチの自分に向けて手紙を書こう、という企画でした。

「俺が責任を持って預かり、成人式でみんなに渡してあげるから」

そうやって12歳の時に書いたハタチの自分への手紙が本当に成人式の日に届けられました。

12歳の僕が書いた文章は、それはそれは酷いもので、小学生の自分ってこんなにバカだったの?と思わずにはいられないほど惨憺たるものでした。

手紙には当時流行っていた遊びや二十歳になったらしたいこと、家族への想い、アウト先生から聞いたすべらない話などが小学生なりに綴られていました。そして、手紙の最後にはこうありました。

『アウト先生との面白かった毎日を忘れずに生きて下さい。』

成人式で貰った手紙のことも、授業そっちのけでサッカーばかりやっていたことも、結果的に小学時代の先生では唯一アウト先生だけが強烈な思い出としての記憶を残してくれました。今になって思うと、もしかしてアウト先生は記憶(=人生の宝物)の重要性に気づいていて、それを僕たちに教えたかっただけなんじゃないかな。

何かの形で残さないと、年々過去の記憶が抜け落ちていく恐怖を感じています。

成人式の日には時々そんな事を考えます。