リアルタイムドキュメンタリー

「浅草キッド」と「ボクたちはみんな大人になれなかった」のズルい手法

 

自分とは全然違う誰かになって、自分とは全く違ったその人の生活、環境に身を置きたいと思うことがある。

年齢、性別、国籍、職業、違ってれば違ってるほど楽しそうだと思う。

2,3年ごとに転生でもできれば最高だ。自分自身の飽き性は自覚している。

 

2022年のいま、メタバース上でこの願望をそれなりに叶える事はできるが、今のテクノロジーだけで脳内が完全に切り替わって没入できるほど僕の脳みそはよくできていない。(いや、逆によくできているのか?)

というわけで残念ながら現実世界でどこかの誰かになることはできないが、誰かの人生を追体験できる方法ならある。それが映画だ。

よくできた映画を見ていると、まるでその人の人生を生きてきたかのような錯覚に陥る。

「浅草キッド」と「ボクたちはみんな大人になれなかった」

この二つの映画で僕は完全に錯覚してしまった。

 

その手法はこうだ。

まずは主人公の人生の象徴的なシーンをテンポ良く積み重ねていき、視聴者を主人公の人生へと徐々に誘う。そして映画のクライマックスでメロウな音楽と共に一気にこれまでの人生を回顧していくシーンで没入感がMAXに仕上げられる。

感情が揺さぶられないわけがない。

だって、僕の大好きな結婚式のプロフィールムービーと同じ手法だもんこれ。

 

良い体験とは、心(感情)や頭(知能)、体がどれだけ動かされたかの総量で説明出来ると思っていて、そういう意味で両者の作品は主人公の人生への没入感による心の揺さぶりに全パラメータを割り振ることで良き体験を提供してくれる映画だと感じたわけです。