リアルタイムドキュメンタリー

新卒10年目にして未来が見えなくなり、ようやくラフテルへと辿り着いた話。いや、新世界への入り口か

未来が見えなくなった

今日も一つ、僕は逆転への布石を打っていく。

 

何度も書きかけては下書きに保存を繰り返して、遠回りしてきた。今日こそ自分の経歴を振り返り、「なぜ未来が見えなくなってしまったか」とその先のラフテルとまでは言わないが、もう一度新世界の入口には辿り着きたい。今回の人生のブレーキは次に活かすことでしか意味をなさない。

そもそも私は何者かはこちらを参照されたし

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新人から数年は希望に満ちた時代を謳歌していた

エンジニアリングもビジネスにも精通したいとコンサル系の国内大手SIerに就職を決めた。職種はSE(システムエンジニア)。会社の先輩、同期の優秀さも入社を決めた大きな理由だった。

流通系の大規模システムの開発から運用まで全部やるような部署に配属され、社会人、SEとしての基礎力を鍛えた。つい先日「これからの会社員の教科書」を読んだ感想をツイートしたが、ここに書かれていた事のほとんどを先輩や同僚から学ばせてもらった。そして、同じように後輩にも指導してきたつもりだ。

最初に担当したのは情報分析システムで、一週間で何度も機能追加のリリースが入るようなシステムだった。リリース作業をミスって朝までフォローした事も何度かあった。今の働き方改革の流れでは当然NGだ。

顧客との要件、スケジュール調整結果をパートナーさん(協力会社)に伝え、いくつもの機能を同時並行的にリリース出来るようマネジメントしていく。

少なくとも協力会社に丸投げを良しとする文化は1ミリも無く、むしろ自分に出来ない事は人にお願いするなと口をすっぱくして指導され育てられた。だからこのシステムで使われていた今となっては枯れ気味の技術は自分の手の内に入れたし、その技術を使って作られた巨大なシステムのロジックのコアとなる部分も最終的には頭の中に全部入ってた。

企業固有の巨大システムをメンテナンスするというのは、何に例えると分かりやすいだろうか。その企業でしか使えないドメスティックな六法全書を丸暗記してかつ、法廷で戦えるようになるまで洗練しておくようなもんに近い。法律の事は全く知らんが多分そんなイメージだ。

従って、最低限必要となる業務ロジックを学ぶこと、理解することは市場価値にまるで繋がらない。ほぼ修行僧の苦行と同じだ。こんな感じに近い。

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出典:http://livedoor.blogimg.jp

市場価値に直結しないことはみんな分かってる。それでも苦行に耐えるのは、お客さんから「今度ここをこう直したいんですが」「こんな新機能追加したいんですが」と相談された時にドメスティック六法全書の脳内データベースを引っ張り出して即答出来るかどうかで得られる信頼がまるで違ってくる事を肌で感じているからだ。そりゃそうだ。いちいち、持ち帰って確認しますじゃ、客からしても面倒くさくて仕方ない。

自分の担当システムについて、最終的に責任を持つのは社員である自分しかいない。トラブルが発生した際には陣頭指揮を取ってフォローする必要がある。泣いていても誰かが助けてくれるわけではない。"ぴえん"なんて糞食らえな個人としての突破力が試されるガチンコの世界を生きるうえで技術やシステムに対する理解は僕にとって必須だった。

また、顧客からの単純作業依頼でもその依頼にある裏の背景を考えろと教えてもらった。なぜ今このタイミングでこの作業依頼が発生しているのか、そこにはどんな理由があるのか常に考える癖がついた。関係性が出来た顧客にさり気なくヒアリングをかけるスキルも身についた。

ライセンス利用料を少しでも抑える為に脱Oracleを目指したDBの評価もやらせてもらったし、ECサイトを抜本的に再構築するプロジェクトでは、肝となるミドル部分や共通機能の開発を担当した。どちらかと言うと部内でも技術に強みを持った人材として順調に成長していた実感があった。だから休日出勤も残業時間もお構いなしだった。それだけ新しい発見があり、学びがあって、楽しかった。 

そのうちサブシステムのリーダーなんかもやったりして、イケイケの時代だった。若手時代に誰もが履かしてもらう下駄に羽をつけて優雅に空を飛んでいた。

これは完全なる自慢なんだけど、そんな調子に乗っていた時、僕の結婚式でとある先輩がくれた祝辞の1ページがこれだ。 祝辞なので軽く10倍は盛り気味に書いてくれてるけど、それでも僕の宝物になっている。

新郎の職場と仕事っぷりの紹介

この時、僕から見えていた景色をまとめたものがこのエントリに繋がっている。

周囲からは順風満帆そうに見えたかもしれないが、一方で、仕事に慣れるにつれてクリエイティブな自分でありたいという理想像からはかけ離れていってる事に疑問を持ちつつもあった。

サンフランシスコにてユーザー体験(UX)デザインを学ぶ機会をもらう

そんな中でチャンスは突然訪れた。数ヶ月ほどサンフランシスコ(SF)でユーザー体験(UX)デザインを学ぶ機会にありつけた。

Apple watchが出たばかりの頃で、UberやAirbnbなどのイケてるUXを提供する新しいサービスがゴロゴロ生み出されるスタートアップの本場だ。ちょうどリーンスタートアップやデザイン思考、UXの重要性が唱えられ出したタイミングだった。

実際に現地で感動する体験に触れて、その体験をもとに、何が自分の琴線に触れたのか、その理由は何なのかみたいな事を議論しながら、カスタマージャーニー等のデザイン思考でよく使われるフレームワークも活用しつつ自分たちで考えたサービスをユーザー目線で徹底的にブラッシュアップするような事をやって来た。

はじめての西海岸の空気や働き方、思想に触れて毎日衝撃が走った。アドレナリンがプシューだった。何より、自分たちでサービスを考える事がめちゃくちゃに楽しかった。入社5年の歳月をかけてゆっくりと、そして知らないうちに凝り固まっていた脳みそが徐々に溶けていった。そして、サービス企画も出来るエンジニアになってやるんだと意気込んで帰国した。ちょうどそれが入社後から6年目の出来事だ。

帰国後何も望んだ実績を作れなかった

帰国直後の当時、所属組織はクライアントの大型案件を複数抱え、色んなプロジェクトが燃えていた。猫の手も借りたい状況だった。僕は何事も無かったように炎上プロジェクトの1つにほりこまれ、これまで日本でやってきた延長線上のスキルを伸ばす事になった。

こう表現すると聞こえは良いが、アメリカに研修にいって浮かれて帰ってきただけの若者に組織を動かすだけの実力が無かった。それまでの話だ。

もちろん、プロジェクトを回すポジションは上にあがっていた。難易度の高い情報分析システムの開発プロジェクトで初めて億超えのプロジェクトリーダーを担当した。片手間で出来るほどキャパも大きくなかったし、文字通り走り回ってなんとか納期に間に合わせた。小粒案件のPMをやったりもした。消費者向けのアプリもつくった。残業も時には80時間は超えていたなあ。

プロジェクトを完遂するまでのやりきる力や胆力が着いたので、それはそれで学ぶことも多かったが、心のどこかでシコリがあった。何を創るかを考えられない、決めれない事に対するフラストレーションが溜まっていった。

エンジニアはどこまでいっても、どう作るかのHOWを突き詰める仕事だ。

開発言語や開発フレームワーク、洗練されたロジックのソースコード、DBやサーバー、外部のサービスをも組み合わせて顧客の要件を満たすシステムをいかにセクシーに組むかについて試行錯誤し、それを実現する。

何をつくるかのWhatとどうつくるかのHowは掛け算の関係だ。

WhatがイケてなければHowで100点をとったところで良いものが出来ない。Whatが10点であれば結果10点のものしか世に出せない。Howではなく、Whatに責任を持って関わりたい。その想いは日増しに強くなっていった。その想いはこのエントリに綴った。

そんなこんなで鬱憤を晴らすように声を掛けてもらったスタートアップ実践イベントにも参加してみたりした。うん。やっぱりこっちの方が楽しいし、自分にあってる。同時に実力不足も痛感した。

まあ実際は忙しすぎてそんな事も忘れてるくらい本業の方で働いていたんだけども。

そして、ようやく少数精鋭のビジネスIT(BIT)を推進する部隊にうつる

そして、本業でようやく念願のBITが出来ると躍起になり2年半活動したが、話はそんなに簡単では無かった。考えてみれば当たり前だ。今までどっぷりと浸かってきたのは、効率化をサポートするコーポレートIT(CIT)の世界で、BITの実績はほぼ無いに等しい。

結局、最後までゴールを見いだせなかった。これを続けていれば、なんとなく成果が出そう。そんな期待感が持てなかった。理想の自分に近づいている感触も薄かった。寝技を仕掛けられる営業マンかスーパープログラマのような個の破壊的な突破力で状況を打開するしか、もはや解決策は無いと感じていたがそのどちらの実力も備わってなかったし、自分が目指すべき理想像とも少し違った。

次第に自分で新規事業を立ち上げたり、サービス企画や運営をやって売上を伸ばした実績や経験がない中で何を顧客に提案しても意味がないような気すらして、自分が無価値で無能な人間と感じるようになっていった。だからこんな社外の人間と一緒にやる実践的なリーダーシップ研修に出てみては自分の価値を確かめたりしてみた。

なぜ病んでしまったのか 

組織や環境や人間関係のせいでも誰のせいでもなく、精神を病んでしまったのは紛れもなく自分のせいだ。

ゴールの見えない仕事を続けていても、弱音を吐かないリーダーや先輩こそがかっこいい。そんな理想像を自分で抱え込んで自滅した。本当の意味で同じ立場の味方をつくることも出来なかった。

鬱になって休んでしまった時の様子はここに書いた通りだ。

あの時どうすれば良かったのか

ひとりで病んでしまうくらいなら、さっさとその理由を説明してギブアップすればよい。それは上司だけでなく、後輩や周囲の人全てにだ。今になってそう思う。

出来ない理由より、どうすれば出来るかを考えよう。

そう言って後輩にもずっと指導してきた。もちろん自分もそうしてきた。でも今なら分かる。どうしたって出来ない時も長い人生には必ずやってくる。

そんな時に、自分の理想を捻じ曲げじっと耐えて時間が解決してくれるのを待つのか、それともギブアップするのか。僕の性質上、後者しか選択の余地はない。

しかしギブアップする際の条件が重要だ。なんでもかんでもギブアップしていたらただ意思の弱い軟弱な男でしかない。ギブアップの条件は、理想的な自分に近づく為にサービス企画運営の実績がつめるかどうか。これまでの直感で判断するしかない。テクノロジーやエンジニアリングを武器とできればベストだが、あくまで中心にあるのはサービス企画者、さらに大きく風呂敷を広げるのであればビジネスディベロッパーとしての実績だということだ。

そのラインの線引が出来たことが大きな収穫の1つだと思っている。

そして、これから

これまでやってきた仕事やそこで培ったスキルは無駄ではないと断言できる。これはほぼレーンチェンジだが、スタートはいつだって切れるという事を僕自身がこれから証明したい。

と、いう事で明日はうちの会社の産業医面談があり、年明け早々に復職する事が決まっている。先に述べた通り、サービス企画者としての理想像に向かっていなければ、僕は多分すぐにギブアップしてしまうだろうし、ぶっちゃけその為に転職する可能性も多いにありえる。

これでプレイフルな人生への逆転に向けて、ようやくスタートラインに立てた気がしている。今年はサンタさんから最高のクリスマスプレゼントを貰えた。 

みんなにもメリークリスマース!!

 

明日やろうはバカヤロウなんだよ!