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情報分析システム開発者の視点から「数字の経営から言葉の経営へのシフト」を考察してみる

情報分析システム
今日も一つ、僕は逆転への布石を打っていく。

 

10年間システムエンジニアとして働いてきた。そのなかでも多くの時間を流通系の情報分析システム開発に費やしてきた。

先日GO三浦さんのNewsPicksの記事を拝見し、こんなツイートをした。

数字の経営から言葉の経営にシフトする。これが意味するところはとてつもなく大きい。大きすぎる。その大きさから長年担当してきた情報分析システム開発者の視点から改めて考察がしてみたくなった。

情報分析システムの意義

"情報分析システム"は日常に溶け込んでいる。

例えばダイエットを開始すると、まず体重計にのり体重を把握する事からはじまる。有酸素運動をすれば体重が減るだろうと仮説を立てたとする。仮説通りにランニングを続けた後、体重が何キロ減っているかハラハラしながら体重計で確認するが、体重はちっとも減ってない。走る量が少なかったのか、頻度が少なかったのか、そもそも有酸素運動より筋トレの方が効果的だったのか。

こうやって体重という数字を成果軸にして仮説検証出来る状態にしていること、これが情報分析システムの一つ目の意義だ。体重計だって立派な情報分析システムといえる。

次に体重計のない世界を想像してみてほしい。例えば、ダイエットを競い合うカップルがいるとする。

「明らかにアゴのラインが私の方がシャープになってるから!私の勝ち!」

『俺なんて、久々会った友達におまえなんか痩せた?て言われたから。これは本物』

なんだか頭がめちゃくちゃ悪そうなカップルの会話だが、お互いの体重計を見せれば一発で終了する話だ。痩せた感覚は人それぞれで、体重という存在がなければ他者と意識統一を図ることが難しい。体重という共通認識の取れた目標値の増減が可視化出来ることで、はじめて人はそれを評価したり、競いあったりが出来るのだ。

つまり情報分析システムの意義とは、仮説検証を可能にすること意識統一を図ること。この2点につきる。

前年比により意識は統一される

意識統一を図る為に、小売業では前年対比という目標値がよく使われてきた。

前年よりも売上や利益が上がっているか。それを地区やお店、商品毎に分解して、成長具合を知るための成績表として利用する。シンプルで誰もが納得しやすい数字だ。

受験生が偏差値で合否判定に一喜一憂するように、小売担当者は前年比で昇進も左遷も経験するといっても過言ではない。だからみんな必死になって前年比をあげようと奮起する。

それだけに前年比の数字には各社並々ならぬこだわりがある。例えば、平日と土日で売上に大きな差異があるような業態のお店は、前年の同曜日で前年比を算出する。これを書いているのは19/12/23(月)だが、前年は18/12/23(日)なので前年の18/12/22(月)と比較しようという考え方だ。さらに、正月やクリスマスなどのイベント日だけは前年の同日で前年比を計算した方がより実態に近い数字が捉えられる事もある。一言で前年比といってもその定義はバラバラなのだ。

意識統一できて利益も上げる経営数値は、ほぼ発明

組織の意識統一が図れて、みんなが一緒の方向に向かって走れる数値目標は各社のノウハウの塊であり、ほぼ発明に近い。

もう1つ例をあげてみよう。機会損失という言葉がある。本来売れたはずの商品が売り場に並んでなかった事で販売機会を失った事を損失として認識しようという考え方だ。

この機会損失を数値に置き換えたものとして「欠品率」というものがある。

欠品率はマーケティング用語として、需要(注文)に対し、商品を供給(納品)できなかった割合と定義されている。総顧客数に対し欠品で対応できなかった顧客数の比率、総注文商品数に対する欠品を起こした商品数の比率、総需要額に対する欠品で逃した売上高の比率など、さまざまな比率として計算され、企業のノウハウやオリジナリティがいっぱいつまった指標の1つだ。

現場の人間は忙しくて、とてもじゃないけど数値ばかりとにらめっこしてはいられない。機会損失は避けたいが、それを評価する術が欲しい。体重計がどのような機構で体重を測定しているかはどうでもよく、最終的に自分が何キロか分かればそれでダイエットが出来るように、欠品率もまた確からしい数字さえ決まってしまえば人はその数字を成果軸として仮説検証プロセスに入っていける。

それだけに欠品率をどのように定義して可視化すれば自社の利益が最大化するか。数値を定義する事自体が経営戦略であり、発明であり、人をも動かしてきた。情報分析システムはその経営数値を可視化する為のデータの取得や整形、表現の部分をサポートしてきた。

テクノロジーの進化は経営数値の発明まではしてくれない

少なくとも今のところはテクノロジーの進化が、体重という数値自体を創ってくれる事はないが、爆発的に増えたデータの種類と量を武器にして、定義された目標値に近づくためにアドバイスをくれる位置づけへと進化している。

先のダイエットの例で言うと、目標体重を設定したら、しかるべきタイミングで「朝食は脂質控えめにね」だとか「今週の食事量からすると、あともう少しランニングが必要です」とか、目標達成に向けていちいち色んな情報をチェックしなくても、ただそのアドバイスに従っていれば目標達成に近づける。そんな具合だ。

小売の場合は目標利益を決めたら、しかるべきタイミングで「今日は雨なんでこんな発注ラインナップにしときました、OK?」とAI君がアドバイスしてくれる。そんな世界はもう目の前だ。

現場は働き手不足でデータを眺める時間なんて以前にも増して無くなっている。仮説検証なんてやってる暇がない。早く答えだけがほしいのだ。

「数字の経営から言葉の経営へ」それでも情報分析の意義は変わらない

でも、ちょっと待てよ。確かにアプリケーションからアドバイスされた通りに行動していれば、達成したい目標値には近づくかもしれない。でもそんな世界を人は面白いと感じて行動し続けるだろうか。そして、その目標値に意味を見い出し続ける事が出来るだろうか。

そこで数字の経営から言葉の経営へというパンチラインを思い出す。

企業の経営指針である魂の言葉に向かい突き進む為のアドバイスは決してAIには出来ない。数値でその達成度合いが測れず学習のしようがないからだ。そこには人の試行錯誤という名の仮説検証が存在せざるをえない。

冒頭で情報分析システムの意義とは、仮説検証を可能にすること、意識統一を図ることだと述べた。恐らくこの2つの意義は未来においても揺るぎない。これらは人の根源的な欲求に基づいているからだ。数値や言葉、表・グラフやマップ、音声や映像、プル型でなくプッシュ型の通知、そして予測やアドバイスと情報提供の形がどのような変遷を遂げようとこの2つの意義は未来においても揺るぎないと考えている。

従って、情報分析システムの開発を考えるときは、表現形式や方法論に囚われすぎる事なくこの2つの意義を満たしているか。それが最も普遍的で重要なポイントであるという気づきを得るに至った。そんなクリスマスイブの夜。

 

明日やろうはバカヤロウなんだよ!