リアルタイムドキュメンタリー

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今日も一つ、僕は逆転への布石を打っていく。

 

今日こそ自分史の紹介です。

生まれ〜子供時代

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人口1万人を切る三重県の片田舎で生まれ育ちました。最近ユネスコエコパークにも登録され、豊な自然とは反比例して過疎化が進む愛着ある我が故郷です。子供時代はゲームより何より野山を駆け回って遊ぶ事が最上級の楽しみでした。

公立の小学校、中学校へと進学し、兄の影響もありソフトテニスをはじめました。唯一県外でも成績を残している部活だった事も大きかったです。負けず嫌いな性格でガムシャラに練習した結果、県優勝の成績を残す事が出来ました。ちなみにキャプテンをしていたのですが、後輩からは鬼軍曹キャラとして恐れられていたようです。(後日談)

当時はとかく厳しく振舞う事で規律を維持する為の方法論しか持ち合わせていませんでした。心の余裕も視野も狭いちっぽけな中坊でした。それでもテニスを通して、色んな学校の友達(強敵と書いて”とも”と読むやつ)や大人に触れる機会に恵まれた事が「人の思想」に対する好奇心の原点かもしれません。

 

その後、より多くの人に触れ合ってみたいと街の県立進学校へ入学しました。寝癖のまま朝7時の汽車(田舎は電車じゃなくてディーゼルエンジンで動く汽車がメインなんです!)に乗り1時間かけて通っていました。部活に遊びに勉強に恋愛と高校生活の良いとこどりをした結果「駆け抜けて青春」状態でした。

高校でも続けていたソフトテニスで全国に名の轟く私立高校を30何年振りにやっつけるという快挙も達成しました。みんなが大好きなジャイアントキリングです。

大学時代

基本的におのぼりさん気質な人間です。もっと多種多様な人に触れたい、見聞を広めたい(吉田松陰か!)と現実的に入学出来た電気通信大学に進学しました。物理・化学・生命科学を広く学ぶ学部でしたが、新宿から15分のフレコミの方が刺さるくらいにはミーハーな男でした。とにかく東京に出たかった。

初めての大都会東京の街並み、初めての一人暮らし、初めてのバイト、サークル、飲み会、etc。故郷もバックグラウンドも全然違う同級生や先輩、初めてづくしの生活に震えるほどの高揚感を伴い○○童貞を捨てていった日々を今でも鮮明に覚えています。ちなみに普通の童貞は高校生で捨てました。

人間は慣れる生き物。次第に日常と化していったかつての刺激的な日々にもやがて飽きがきて、とにかく何か熱中出来る物、誇れるものが作りたくて、インカレサークルに入ったり、東南アジアへのバックパッカーを機に英会話に力を入れてみたり、株式投資をかじったり、Youtubeに動画をアップしたり、色んなバイトに手を出して、ひょんなきっかけでネットワークビジネスの闇に触れて人間のお金に対する醜悪な執着に嫌悪したりと、気の向くままにやってみたところでブレイクスルーが得られなかった、どこにでもいる超普通の大学生として4年間を過ごしました。

学外から出て外の世界を知るほどに感じた学歴コンプレックスが案外尾を引いたのと、これから必須となるであろうITの知識を学ぶべく、専門分野をチェンジし東工大の大学院に進学しました。

ちなみに、東工大と電通大は今でも合コンしたくない大学トップ1、2に君臨しているそうです。誰か僕と合コンしてくれませんか?

合コンしたくない大学ランキングトップ5:理系・工業大学が多い | SARAS[サラス]

アメリカの名門大学への武者修行や、海外の学会を経験したり、経験豊富な社会人学生のみなさまと一緒に、教授から与えられたテーマではなく成果が出せる領域を自分でサーベイして研究をブラッシュアップする。そんな自立的な運営スタイルにより、ニッチを攻めて成果を残す為のポジショニングの重要性に対する視点が芽生えました。

就職してから

エンジニアリングもビジネスにも精通したいとコンサル系の国内大手SIerに就職しました。職種はSE(システムエンジニア)。会社の先輩、同期の優秀さも入社を決めた大きな理由でした。

流通系の大規模システムの開発から運用まで全部やるような部署に配属され、持ち前の負けず嫌いを発揮してなりふり構わずに働きました。

確かに枯れた技術が多いかもしれないけど、少なくとも協力会社に丸投げを良しとする文化は1ミリも無く、むしろ自分に出来ない事は人にお願いするなと口をすっぱくして指導され育ちました。

こんな風に最近叩かれまくってるほど、そこまで悪いもんじゃないと思ってます。

勿論SIerの中でも会社や部署によるところが大きいとは思うけどね。。。

tech.nikkeibp.co.jp

もはや社会インフラとなった大規模なシステムを自分たちが支えているんだと誇りを持って働いている先輩たちは素直にかっこいいと思いました。だから24時間365日いつやってくるか分からないシステム障害発生時の連絡だって厭わない。むしろ、いち早く障害箇所を特定して影響を最小限に食い止めて対応出来た奴はヒーローみたいな文化です(笑)。障害発生時ほど目を輝かせている社員も沢山います。特に優秀な社員ほどその傾向が強いように思います。

これは最近の世の感覚だとブラックなのかもしれないけど、ブラックかどうかはそこに自分の意思や誇りがあるかどうか。外野は全く関係ないですね。

 

スタジアムの大声援に包まれた歓喜の勝利の裏には、億千万の見えないダッシュがある。

確かに楽しいに越した事はない。それでも楽しいだけでは仕事は始まらない事もある。 

大学時代に色んな事に手をつけてブレイクスルーしなかった苦い経験もあり、困難や課題にぶち当たった時にそれを乗り越えられるだけの突破力を養いたかった。言い訳をして逃げたくなかった。脇見もふらず一つの山を登りきりたかった。

右も左も分からないピヨピヨの自分をここまで育ててくれた所属組織に恩返しもしたかった。白ひげの名言「仁義を欠いちゃあこの人の世は渡っちゃいけねえんだとティーチのバカに教えてやるのがオレの責任だろうがよ!」に共感する昔堅気な人間だった。

ITスキルの消費期限なんてたかだが5年や10年、しかも廃れるスピードは恐ろしいほどに日々加速している。そんなスキルを競い合うよりも、人間力に重きを置き、修羅場をくぐったぶんだけ人間としての魅力は成長すると信じて、10年間ガムシャラにやってきました。

まさか、そんな僕が自滅し、休職してしまうとは!

そして、休職を経てパワーアップをしたRiopoは一体どこへ向かうのか。

これからの復活ストーリーを刮目せよ!!


 

明日やろうはバカヤロウなんだよ!